「埼玉県内に災害公営住宅の建設を求める会」の活動経過
1. | 2013年3月下旬に白鴎大学の福岡教授との懇談会の話の中で、いつ双葉町に戻れるのか保証がない中で、せめて安心して長期に渡り住める住居を建設する必要があるという結論になり、そのための活動を始めることにした。 |
2. | 4月上旬に神戸の災害公営住宅に住んでいる3人の方からその体験を聞いたで、上田埼玉県知事、福岡教授と双葉町民の間で話し合いを持ち、上田知事からは、埼玉県内に災害公営住宅を建設することに関し、積極的に支援するという話をいただいた。 |
3. | 5月6日に「埼玉県内に災害公営住宅の建設を求める会」を発足させ、代表に林一栄さん、世話人に池田勝治さんが就任し、署名活動を始める事を決定した。 |
4. | 5月7日に伊澤双葉町町長と加須市長に対し、協力のお願いをした。 |
5. | 5月21日に300名の署名のコピーと要望書を双葉町伊澤町長に旧騎西高校避難所で提出し、建設のお願いをした。 |
6. | この後、再度上田埼玉県知事とお会いして、署名と要望書を伊澤町長に提出したことを報告し、「埼玉としての受け皿はあり、建設の実現は可能」との支援の意思表示をいただいた。 |
7. | 双葉町の「復興まちづくり計画」が発表され、福島県外での拠点として、加須市があげられた。 |
8. | 7月10日、本会の活動をサポートする目的で支援者による「災害公営住宅の建設をともにすすめる会」(代表:湯浅恵里)が発足された。 |
9. | 8月23日にいわき市の双葉町の仮庁舎で、伊澤町長に更に106名合計406名の双葉町民の署名を提出し、災害公営住宅の建設の依頼をしたが、福島県外に人口が流出する事は極力抑えたいとの理由で、県と打ち合わせをするが難しいのではないか、という話が町長からあった。この時に実際何世帯の人が加須市の災害公営住宅に住むのか分からなければ、どの程度の規模の災害公営住宅を建設すればよいのか把握出来ないという話もあったので、住居希望者の署名を集めるとともに支援者の署名も集めることにした。10月17日に双葉町長と再度の話合いを行い、64世帯164名の入居希望者の署名を提出したが、県の意向もあり建設出来ないとの回答になった。 |
10. | 11月19日付けで伊澤町長との話し合い時に提出した質問状の回答があり、全くのゼロ回答であった。そのため今後の活動は福島県と国及び埼玉県と加須市に方向を変えることにした。 |
11. | 12月24日に福島県避難地域復興局生活拠点課に本当に災害公営住宅の建設が福島県外に建てられないのか、確認に行き、全ての署名のコピーと「災害公営住宅の建設をともにすすめる会」が集めた支援者の署名2322名分を福島県知事宛に提出した。終始要望を聞くという姿勢であったが、言葉の端端には発注行為・維持管理が県外では難しいので、建設は無理というニュアンスが出ていた。災害公営住宅以外であれば協力の余地はある、という説明はあった。本当に住宅は建てられないのか、何が出来るのかという話を2014年1月中旬にすることになった。 |
12. | 2014年2月6日に福島県避難地域復興局生活拠点課に再度訪問し、改めて福島県外にも災害公営住宅が実現されるよう求めた。 |
13. | 3月27日に福島県庁避難地域復興局生活拠点課より担当の方が加須に来訪。 「埼玉県内に災害公営住宅の建設を求める会」「災害公営住宅の建設をともにすすめる会」および双葉町民と面談。再度、災害公営住宅の建設を求める。 |
14. | 5月30日に福島県庁の担当の方が再度来訪し面談を行い、前回と同様、災害公営住宅の建設を求める。「災害公営住宅の建設をともにすすめる会」はロンドン在住の日本人支援者による361筆の署名を追加で提出した(累計2683筆)。 |